まじめだけど無気力で成績が悪くてマナーもない中学生たち

埼玉に引っ越してすこししてから、近所を歩いている中学生に「違和感」を覚えはじめました。

「何がおかしいんだろう……」

そう思って観察すると、子どもたちにはつぎのような特徴がありました。

・茶髪などの明らかな不良はいない
・休日でも体操着姿の子どもをよく見かける
・どこか無気力
・マナーがない
※一例をあげると、(わたしの時代のヤンキーは)ヤンキーでさえ、うんこ座りをして、お尻を地面につけないですし(笑)、車が来ないところ、たとえばコンビニや夜の公園で、たむろしていましたが、この地区の中高生は、車通りがあって危ないのにもかかわらず、ベタッと道路に座り込んで話し込んでいたりします。

また、偶然見つけた近所の塾のブログによると、近所の中学校は昔から成績が極めて悪いことのこと。

わたしのなかでは「無気力で成績が悪くて、マナーがない」のはヤンキーです。
近所の中学生には明らかな不良はいませんし、休日でも部活をしているほどの「まじめ」。わたしのなかでは、そういう子どもは「生き生きとしていて、成績はふつう以上。マナーも年相応にある」ですが、この地区の中学生は、まじめなのに「無気力で成績が極めて悪くて、マナーがない」のです。
これが違和感の正体でした。

で、そのブログによると、何をしても成績があがらないとのこと。
なぜ成績があがらないのか。

スポンサード リンク


成績が悪いのは小学校のせいではない!

なぜ成績があがらないのか。
塾のブログの分析によると、小学校の指導方法に原因があるのでは、とのこと。

確かに勉強は積み重ねなので、小学校のときにつまづけば中学生のときに勉強が苦手になります。

しかし、小学校の評判はそれほど悪くはありませんし、わたしは小学校の成績はよくなかったのですが中学校で巻き返しましたし、わたしだけではなくそういう生徒も多々いました。

小学校の成績が芳しくなくても、本人のやる気があれば、中学校で十分に巻き返せるものなのです(ただし、たとえば中学三年生なのに「分数の計算ができない」など、時間がないのに小学校のときの積み重ねがゼロに近いのような場合は、巻き返すのはかなり難しいですが)。

もっというなら、「生徒1人」などのミクロのレベルで見れば小学校の時点で何か問題があった、という話は通じますが、「塾の生徒の大多数」というマクロのレベルで見ると、小学校のときに問題があったという話はあまり通じないと思います(隣の地区まで「問題がある学校」として有な小学校に、塾の生徒の大多数が通っていたというのなら話は別ですが)。

では、なぜ?

スポンサード リンク


中学生の成績が極めて悪い原因は「親」

なぜ成績が極めて悪いのか。
2年ほど住んだ結果、この地区の「親」に原因があると思うようになりました。

幼稚園児や小学生の子どもがいる親の特徴

この地区では、共働きしているわけでもなさそうなのに、道路遊びさせている親をよく見かけます。
これの何が問題なのでしょうか。

住宅街とはいえ、道路は危険です(実際、事故も起きています)。
子どもとすぐ近くの公園にいって一緒に遊べば、子どもに交通事故というリスクを負わせることはないのですが、この地区の親は、自分が楽をしたいがゆえに「お手軽な家の前の道路」で遊ばせています。
歩いて5分の店に買い物にさえ行かないひとが、電車で30分かかる店に買い物にいけるはずはありません。
これと同じで、「楽」しようとする親が、勉強という、たいへんなことに関与できるはずもありません。

つまり、この地区には子どもの将来に無関心な親が多いのです。

※「中学生になっても道路にベタッと座り込む → 道路と敷地の区別がついていない → 幼少のころから子どもは道路で遊んできたにちがいない → 親は子どもを公園に連れていくということさえ面倒と思ってきた → そんなひとが、子供の勉強について考えるはずもない → 子どもの将来に無関心な親」ということなのでしょう。ちなみに、道路遊びは一例なので、あしからず。

「親がそうであっても、幼稚園や小学校できちんと指導してもらえるのでは?」と思うひともいるかもしれませんが、子どもは「楽」なほうに流れていく生き物です。
幼稚園や小学校が、子どもの将来のため、しっかり指導しようとしても子どもは「楽」な親のいうことを聞いてしまいます。
だから、いくら指導しても効果がなく「挨拶をする」「鉄棒ができるようになる」くらいの必要最小限のことしか教われないのだと思います。
それにそもそも親からも、それしか求められていないのでしょうし。

中学生をもつ親の特徴

「中学生の子どもの成績が悪い。でも休日でも部活をしている」

このような状況のとき、教育熱心な親だと部活をやめさせるのではないでしょうか。
しかし、この地区の親は休日でも部活をさせています。
子どもに「勉強しなさい」くらいは言う親もいるとは思いますが、親がこのように言っただけでは成績はあがりません。

・どのように勉強すべきなのか具体的に教える(親自身も勉強する必要があります)
・毎日、勉強に付き添う

一例ですが、このようなことをしてはじめて、子どもの成績はあがりますし、このようなことをしてはじめて子どもの将来に関心をもっていることになると、わたしは思います。

また塾にいれる親もいるでしょう。
しかし、このような環境にある塾なので、「偏差値50を目指す」のような志が低いところがほとんどです。塾に入れたところで、Fランクの大学に入るのが関の山だと思いますし(もちろん、例外あると思います)、ずっと勉学にとって悪い環境で育ってきた子どもが、塾に入ったからといって、いきなり改心するはずもありませんし、改心しようとしても同級生に足を引っ張られてしまいます(※注1)。

こういう育ち方をした子どもはグレるものなので、中学校では不良化を阻止するために、休日も部活をさせているのではないのか、と思います(つまり、中学校では勉強どころではないというのが、真相なのかな、と)。

(※注1)
子どもの将来に無関心な親に育てられた子どもは勉強しないので、成績も悪いものです(もちろん例外もいます)。
そういう子どもたちは、成績がいい子どもを見ると、仲間外れにしようとします。また「自分の成績は2だったけど、みんな成績2だった!1もいたよ?」のような「赤信号みんなで渡れば怖くない」のような心理も働きます。
このようにして、「勉強しないといけない」という子どもの芽もつまれていくのです。
「負」は連鎖していくわけですね。

都内では子どもは勉強せざるを得ない

一方、都内のような子どもの成績がいい地区はどうでしょうか。
カフェにて子どもが宿題をするのを見守っている親を見かけますし、(いいか悪いかは別にして)夜、塾から帰っている小学生も見かけます。

「みんなが勉強している」

そういう環境なので、子どもも勉強せざるを得なくなります。
それに世帯年収が高い家庭も多いので、都内には有名校にばんばん入れている塾が多いです。
たとえ親が子どもの将来に無関心でも、財力で、こういう塾にいれたり、プロの家庭教師を雇ったりして巻き返せているのでしょうね。

まじめだけど成績が極めて悪い生徒の「親」は?

中学生の成績が極めて悪いのは、どうやらこの地区の「親」にありそうだとわかりました。
では、この親はどういうひとたちなのでしょうか。
わたしが見た範囲ですが、一昔前に話題になった「マイルドヤンキー」が多いような気がします。

・埼玉や周辺の田舎で生まれ育つ
・893みたいな風貌ではなく、すこしワルそうな感じのファッション。もしくは、一見、ふつうの地味なひとに見えても、極めてマナーが悪い。
・ブルーカラーの職種が多い

一方、わたしが見聞きしてきた範囲ですが、都内で子どもの勉強を見る親は、一流企業に勤務していたり、医師、弁護士、会計士などのエリートが多いような気がします。

かくして「まじめな生徒なのに無気力で成績が極めて悪くてマナーがない」中学生ができあがる

いろいろと書いてきましたが、結局、言いたかったのはつぎのことです。

一般的には――。

・子どもの「環境」は、その地区の子どもが集まってできあがる
・子どもは「親」に影響を強く受ける
・子どもは「楽」なほうに流れていく

というわけで――。

・近所では、子どもの将来に無関心な親が多い
・子どもにとっては勉強は苦痛。「楽」な親の影響を強く受ける
・このような子どもが集まった結果、この地区では勉学にとって悪い環境がつくられる
・そういう環境にいると、子どもは勉強したいと思う気持ちさえもなくなっていく。
・たとえ優秀な先生、講師であっても、環境を変えるのは難しく、環境は悪いまま(後述しています)。
・子どもが成長して「親」になったとき、勉強不足などから地元から離れられず、マイルドヤンキーなどになって、上記を繰り返す
・かくして、「昔から成績が極めて悪い中学校」ができあがる

ちなみに、この地区において、子どもの将来を心配している親がすべきことは、環境を変えることくらいだと思います。要は引っ越すか、私学にいれるくらいしか選択肢がないわけですね。

一方――。

・都内では、子どもの将来に関心が高い親が多い
・子どもにとっては勉強は苦痛。しかし、親や先生たちから勉強させられる
・こういう家庭がたいはんなので、この地区では勉学せざるをえない環境がつくられる
・子どもは有名校に入ることができる。
・かくして「高学歴の子どもの親の平均年収は高い」という図式ができあがる(都内の世帯年収は高いため)
※ちなみに、子ども将来に無関心の親であっても財力があるので、エスカレーター式の私学にいれたり、優秀な講師を雇ったりして、子どもの学力は問題なくなるケースも多いと思います。

当たり前といえば、当たり前の話ですね。
ただ、わたし自身、環境が極めて悪いなかで育って「まわりに流されずに勉強する!」と思ってきましたし、そういう地区で塾講師をしていたとき、がんがんに成績をあげてきたので、気がつきませんでした。
わたしにとっては新しい発見だったのかな、と。

というわけで、もし、子どもの将来をすこしでも考えようと思ったのなら、「楽」するのではなく、子どものために「苦労」することが大切なのかな、と。
子どもの将来が心配なら、楽をする親との付き合いを一切断って、苦労を買って出ている親と付き合うことが大切なのかな、と。


※ちなみに「環境を変えるのが先生や講師の役目ではないか!」と思うひともいるかもしれませんが、数百の家庭がつくりだした環境に、先生や講師たった1人で立ち向かわないといけません。
環境という壁はものすごく分厚く高いのです。
ましてや、生徒をさわるだけで体罰といわれる世の中。
ますます環境を変えられないと思います。
前述したように、わたしはそういう環境でも生徒の成績をがんがんにあげてきましたが、その手法についてはまた追々と書いていきたいと思っています。

「数学を勉強するすべての人へ」のトップページ